先ほど地上波初放送だった「少年H」の映画を見ておりました。
そういえば、二日前は終戦記念日だったことを思い出しまして、この時期かとなんか考えてしまいますね。
映画を見ていて戦争について考えさせられますね。
日本の映画では他には「硫黄島からの手紙」や「YAMATO」とかもあり、こういった映画は他の国ではあまり見かけないものと感じます。
と、少し話題がそれました。
というかぶっちゃけた話、こういった話題というのは触れにくいですね。
今日本は憲法9条でもめてますからね。
ただ、戦争が悪いとひと言で片付けるのは簡単なのですが、それで本当にいいのかという疑問はあります。
例えば第二次世界大戦について分かることといえば大体の人が
1941年に真珠湾攻撃で始まり、1945年に広島、長崎に原爆が落とされその影響からポツダム宣言が受諾され、翌日に降伏する形で戦争が終結した。
って感じでしょう。
まぁ、自分もそれに近いですが。
※こっから先はもしかしたら、間違った記憶で書いている可能性があります。
でも、この時の内閣総理大臣だった「東条英機」が戦後戦犯扱いとなり処刑されたのは知っている人はまぁいるでしょう。ただ、個人的には「山本五十六」さんの事も知って欲しいと思うときもあります。山本五十六さんは戦争における指揮官にあたる人ですが、昔の記憶からで申し訳ないのですが、実はこの人は戦争を「回避しようと」して行動を直前まで起こしていたということを知っている人は少ないでしょう。
そもそも、戦争が起こる前までにアメリカと会談を行っており、そこでの交渉が戦争の発端となっています。その時にこの交渉のきっかけ作りをしていたのが、山本さんだと言われております。この交渉で成功を収めることができれば戦争を回避できると考えていたと言われております。ただ、結果は失敗に終わり、そして真珠湾への攻撃が決まったのです。
山本さんはわかっていたそうですね。アメリカとの戦争をすることの「厳しさ」を。
そして、戦争が始まり戦争は当初は日本有利だったと言われております。
しかし、ミッドウェー日本の立場が逆転することとなる。
実は、戦争の型がこの戦争で変わったことがあるそうです。それが、「空中戦」に移行したと言われているそうですね。このミッドウェーで日本の保有する空母がかなりやられてしまい、戦況が不利になったと言われています。
そして、どんどん日本へ近づいて行くことになります。
ここで有名な地上戦が2つ行われました。
それが「硫黄島」と「沖縄」で行われました。
硫黄島は小笠原諸島の中でも南に位置しているところで、ここでの指揮官がここで時間稼ぎをする為に硫黄島に拠点をおいた場所であります。
結果的に言いますと、足止めはかなり成功しました。
期間にして約1ヶ月以上。内容は上記で名前が上がった「硫黄島からの手紙」でも見てください。
この時にこの硫黄島で指揮をとっていたアメリカの指揮官は硫黄島での戦いをこのように言ったそうです。
「今までの中でも苛烈な戦いだった。もう2度としたくない。」
というような言葉を残しております。(すいません、かなり意訳してます)
そして、もう一つ。
沖縄での地上戦です。
広島、長崎もとても大きな犠牲者が出ましたが、沖縄も間違いなく悲惨です。
この3ヶ所の共通点は間違いなく「民間」が犠牲になった人がおおいということです。
ただ、沖縄戦で言わせてもらえば、アメリカ側の作戦の読み間違いがこういった原因になった気もしますが。
そして、広島、長崎に落とされ8月15日に終戦という形をとっています。
さて、広島、長崎は唯一(全世界で)、核を落とされた場所であり、そのことで日本には非核三原則を持っています。
「持たず、つくらず、持ち込ませず」
ただ、厳しいことをいうようですが、極端に言える立場ではない気持ちもあったりします。
実は、戦時中日本も「核の研究」をしていたのも事実なのですよね。
日本でも核の凄さは知っていたらしく、極秘裡に十数名の研究者に研究を依頼して、うまくいけば武器として活用できないかと模索していたそうです。ただ、なぜ使われなかったというと、落とされたからというのと、アメリカの本気度が違ったからですね。アメリカは何千人という体制で研究していたそうです。
さて、長く語ってしまいましたが戦争はやはり戦争は失敗だったという感じしかありませんが、個人的に言えることがあるとしたら戦死した人たちには敬意は払うべきだと思いますね。
戦死して「有終の美」を飾ることや、国のため天皇陛下の為に死ぬことが決していいということでは絶対にありません。
ただ、彼らも「犠牲者」であると思っているからです。
もし戦争がなければ、彼らも死ぬことなんてなかったのですから。
中には、葛藤を抱えながら戦死した者もいるでしょう。だから、そういった人の事も考えると敬意は払うべきかと。
そして、日本の戦争が失敗だけではなかったということもわかってほしい。
実は、この戦争の序盤でアメリカが保有していたアジアの植民地を奪っていたのですが、実はこの時に日本軍は厳しい規制はとっていたものの、場所によっては仲良くしていた場所もあったそうです。
そして、戦後日本の植民地だった場所は次々と独立するきっかけができたと言われています。
アジアの再生を手伝ったとされているのです。
こういった部分も知ってほしいことですね。
さて、色々と書いてきましたが、間違った記憶で書いている部分もあるので、これを読まれた方は丸呑みしないようお願いします。
これを書いた理由として、戦争に「賛成」とか「反対」とかではなく「知ることも大事であり、考えるきっかけ」を作りたかっただけです。
自分もまだまだなところはたくさんありますが、またこれをきっかけにもっと勉強して行きたいですね。
さて、硬い話になってしまいましたが、今回はここまで。
ではでは。
そういえば、二日前は終戦記念日だったことを思い出しまして、この時期かとなんか考えてしまいますね。
映画を見ていて戦争について考えさせられますね。
日本の映画では他には「硫黄島からの手紙」や「YAMATO」とかもあり、こういった映画は他の国ではあまり見かけないものと感じます。
と、少し話題がそれました。
というかぶっちゃけた話、こういった話題というのは触れにくいですね。
今日本は憲法9条でもめてますからね。
ただ、戦争が悪いとひと言で片付けるのは簡単なのですが、それで本当にいいのかという疑問はあります。
例えば第二次世界大戦について分かることといえば大体の人が
1941年に真珠湾攻撃で始まり、1945年に広島、長崎に原爆が落とされその影響からポツダム宣言が受諾され、翌日に降伏する形で戦争が終結した。
って感じでしょう。
まぁ、自分もそれに近いですが。
※こっから先はもしかしたら、間違った記憶で書いている可能性があります。
でも、この時の内閣総理大臣だった「東条英機」が戦後戦犯扱いとなり処刑されたのは知っている人はまぁいるでしょう。ただ、個人的には「山本五十六」さんの事も知って欲しいと思うときもあります。山本五十六さんは戦争における指揮官にあたる人ですが、昔の記憶からで申し訳ないのですが、実はこの人は戦争を「回避しようと」して行動を直前まで起こしていたということを知っている人は少ないでしょう。
そもそも、戦争が起こる前までにアメリカと会談を行っており、そこでの交渉が戦争の発端となっています。その時にこの交渉のきっかけ作りをしていたのが、山本さんだと言われております。この交渉で成功を収めることができれば戦争を回避できると考えていたと言われております。ただ、結果は失敗に終わり、そして真珠湾への攻撃が決まったのです。
山本さんはわかっていたそうですね。アメリカとの戦争をすることの「厳しさ」を。
そして、戦争が始まり戦争は当初は日本有利だったと言われております。
しかし、ミッドウェー日本の立場が逆転することとなる。
実は、戦争の型がこの戦争で変わったことがあるそうです。それが、「空中戦」に移行したと言われているそうですね。このミッドウェーで日本の保有する空母がかなりやられてしまい、戦況が不利になったと言われています。
そして、どんどん日本へ近づいて行くことになります。
ここで有名な地上戦が2つ行われました。
それが「硫黄島」と「沖縄」で行われました。
硫黄島は小笠原諸島の中でも南に位置しているところで、ここでの指揮官がここで時間稼ぎをする為に硫黄島に拠点をおいた場所であります。
結果的に言いますと、足止めはかなり成功しました。
期間にして約1ヶ月以上。内容は上記で名前が上がった「硫黄島からの手紙」でも見てください。
この時にこの硫黄島で指揮をとっていたアメリカの指揮官は硫黄島での戦いをこのように言ったそうです。
「今までの中でも苛烈な戦いだった。もう2度としたくない。」
というような言葉を残しております。(すいません、かなり意訳してます)
そして、もう一つ。
沖縄での地上戦です。
広島、長崎もとても大きな犠牲者が出ましたが、沖縄も間違いなく悲惨です。
この3ヶ所の共通点は間違いなく「民間」が犠牲になった人がおおいということです。
ただ、沖縄戦で言わせてもらえば、アメリカ側の作戦の読み間違いがこういった原因になった気もしますが。
そして、広島、長崎に落とされ8月15日に終戦という形をとっています。
さて、広島、長崎は唯一(全世界で)、核を落とされた場所であり、そのことで日本には非核三原則を持っています。
「持たず、つくらず、持ち込ませず」
ただ、厳しいことをいうようですが、極端に言える立場ではない気持ちもあったりします。
実は、戦時中日本も「核の研究」をしていたのも事実なのですよね。
日本でも核の凄さは知っていたらしく、極秘裡に十数名の研究者に研究を依頼して、うまくいけば武器として活用できないかと模索していたそうです。ただ、なぜ使われなかったというと、落とされたからというのと、アメリカの本気度が違ったからですね。アメリカは何千人という体制で研究していたそうです。
さて、長く語ってしまいましたが戦争はやはり戦争は失敗だったという感じしかありませんが、個人的に言えることがあるとしたら戦死した人たちには敬意は払うべきだと思いますね。
戦死して「有終の美」を飾ることや、国のため天皇陛下の為に死ぬことが決していいということでは絶対にありません。
ただ、彼らも「犠牲者」であると思っているからです。
もし戦争がなければ、彼らも死ぬことなんてなかったのですから。
中には、葛藤を抱えながら戦死した者もいるでしょう。だから、そういった人の事も考えると敬意は払うべきかと。
そして、日本の戦争が失敗だけではなかったということもわかってほしい。
実は、この戦争の序盤でアメリカが保有していたアジアの植民地を奪っていたのですが、実はこの時に日本軍は厳しい規制はとっていたものの、場所によっては仲良くしていた場所もあったそうです。
そして、戦後日本の植民地だった場所は次々と独立するきっかけができたと言われています。
アジアの再生を手伝ったとされているのです。
こういった部分も知ってほしいことですね。
さて、色々と書いてきましたが、間違った記憶で書いている部分もあるので、これを読まれた方は丸呑みしないようお願いします。
これを書いた理由として、戦争に「賛成」とか「反対」とかではなく「知ることも大事であり、考えるきっかけ」を作りたかっただけです。
自分もまだまだなところはたくさんありますが、またこれをきっかけにもっと勉強して行きたいですね。
さて、硬い話になってしまいましたが、今回はここまで。
ではでは。
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